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02

石川県能登|災害復旧プロジェクト

2024年1月1日。久々の帰省や友人たちとの再会で新年を祝す元日の最中に、それは起こった。正式名称「令和6年能登半島地震」。石川県能登地方を震源として発生したマグニチュード7.6、最大震度7の大地震だ。約4万4,000戸が停電し、道路や鉄道などが一時不通になる大きな被害をもたらした。
北陸電力送配電より中国電力ネットワーク、そして中電工へと連絡が入り、復旧応援に向けたプロジェクトは早々に動き出した。津山営業所に出動要請があったのは、地震発生からわずか5日後だ。降雪地域での作業経験が豊富な津山営業所のメンバーは、能登での活躍にも期待が寄せられた。被害の大きい珠洲市での作業に従事した配電工事の精鋭たちは、この状況にどう立ち向かい、何を得たのだろうか。

PROJECT MEMBER

※社員の所属は取材当時のものになります。

  • S.B

    津山営業所 配電工事課
    配電工事第二係

    2019年入社。自身も幼少期に自宅で落雷による停電を経験。現場では高所作業車に乗って作業にあたった。

  • S.M

    津山営業所 配電工事課
    配電工事第二係

    2021年入社。学生時代は野球に打ち込んだ体育会系。当時から災害復旧に携わりたいとの思いを持っていた。

Chapter 01

入社前から抱いていた災害復旧への思い 入社前から抱いていた災害復旧への思い

中電工の配電工事部門は、配電設備の新設工事や取替工事、電柱の建て替え工事を行う部署だ。台風や大雨、雷などの自然災害発生時にはいち早く現場に駆けつけ、 ライフラインの早期復旧にあたっている。
能登半島地震では、被災地での配電設備の復旧を支援するため、本店や営業所から招集された11名でプロジェクトが組まれ、石川県珠洲市へ10日間の現地入りが決まった。

入社4年目のS.M(以後M)は、当時をこう振り返る。
「災害復旧に携わることは入社動機の一つであり、先輩方で災害復旧の応援に行かれていた人も見ていたので、何かあれば自分もぜひ参加したいと思っていました。能登半島地震の様子はニュースで連日見ていたので、上司から連絡があったときはついにきた、と思いましたね」。

また入社6年目のS.B(以後B)も、
「私も復旧応援があればぜひ参加したいと手を挙げていました。子どもの頃、雷が落ちて停電したわが家に来てくれたのが、中電工の人だったんです。不安で困っている状況はよくわかるので、そんなときに助けにいける人になりたいと思っていました」と、災害復旧への思いを語る。

北陸電力送配電の送配電管轄区になるので、同じ配電工事でも使用する材料や工事方法が違ってくるという。現場の状況も含め、一通り情報共有を受け、協力してもらう建柱工事会社も合わせた計19名で1月12日、いよいよ現地に乗り込んだ。

Chapter 02

まずは倒壊した電柱を建て直すことから まずは倒壊した電柱を建て直すことから

高所作業車でなんとか到着した現場の景色に、Mは言葉を飲んだという。
「目に映る景色はもちろん、ボコボコに沈んだ足元を歩く感覚、空気の埃っぽさなど、全身で地震の凄惨さを感じました。これは大変だなと、身が引き締まる思いでしたね」。

ほとんどの電柱は倒壊したり折れかけていたため、まずは倒れた電柱の抜柱作業や撤去作業からスタートした。高所作業車での作業になるが、地盤沈下で足場が不安定なため、敷板台で足場を安定させる必要がある。道路状態を確認して安全を確保しながら、一歩ずつ作業を進めていく。電柱を建て直し、電線を移設して電気を復旧させるまでの道のりは極めて遠い。

「地盤の緩い場所で高所作業車が伸長すると、負荷に耐えきれずに倒れてしまう可能性もあります。二次被害を引き起こさないために、安全で確実な作業が求められました。日々のミーティング、現場ごとの状況確認、K Y(危険予知活動)など、みんなで注意深く進めていきました」と、Bも一筋縄ではいかなかった当時の作業を思い出す。

また、少しでも多くの配電設備を復旧させ、人々の生活を助けたいという気持ちの一方で、余震の続く現地での作業は不確定なことばかりだった。机上の復旧目標や数字も、ここではまるで無意味だ。それでも、北陸電力送配電、中国電力ネットワーク、中電工、協力会社のメンバーそれぞれが協力し合い、日々やれることに真摯に向き合った。

Chapter 03

予見できない事故、他電力との違いも 予見できない事故、他電力との違いも

安全を確保して慎重に作業していても、思わぬ危険に直面することもある。BもMも作業中に起こった建物の倒壊について、

「3階建てくらいの建物だったと思いますが、高所作業車で作業中に突然ミシミシッと音が聞こえ、隣にあった建物が倒壊し始めたんです。「降りて来い!」と下から声が聞こえましたが、作業中で逃げ場もなく、倒壊によるものすごい風にただ耐えるしかありませんでした。幸い高所作業車に当たるような被害はありませんでしたが、あれは本当にドキッとしましたね」と振り返る。

また、他電力との協力という点でもさまざまな苦労があったという。

「使用する電線やがいしなど、中電工とは違うものを使用しています。事前に共有されていたので予習はしていたのですが、作業手順・作業基準が異なるため、その都度確認して注意深く作業しました。慣れない作業なので、そこは苦労しましたね」とM。

しかし、他電力の方法を間近で見た経験は大きな糧にもなった。Bは、
「他電力の作業手順、工法などは学びもあり、中電工でも取り入れて応用できるものが多々ありました。上司には毎日報告を上げていたので、その際に他電力のやり方も伝えて、その情報が社内でもすぐ共有されていたみたいです」と笑顔で話す。

Chapter 04

大きな経験値を得た二人の姿は希望そのもの 大きな経験値を得た二人の姿は希望そのもの

10日の作業期間は、共に作業するメンバーと民宿での共同生活を送った。水も電気もない場所で、部屋も大部屋での雑魚寝生活だったという。

「作業以外でも積極的にコミュニケーションをとるように心掛けていました。期間中は他電力の方とも本当にいろいろな話をしましたね。帰る頃には家族のような感じになっていました」と、Mは目を細める。

また、Bは印象深かった思い出の一つに、避難所の人との交流を挙げる。

「避難所の電気の復旧作業を行っていた際、避難所で生活をしている方から感謝の言葉をいただき、大きなやりがいを感じました。災害時に困っている人を助けるという、子どもの頃に憧れた存在に近づけたことがうれしかったです。慣れない作業で大変なことも多く、帰り道では雪で帰れず延泊するというおまけもありましたが、参加できて非常に良かったと感じています」。

移動日を省くと実際に作業を行えた期間は10日に満たない。期間中に建て替え作業ができた電柱は20から25本程度だという。しかし、今回の復旧支援で得た経験は迅速に社内で共有され、今後よりスムーズに対応するための重要な知見となった。

電気に限らず、水やガスなど生活インフラのありがたさを感じたというMは、今後について、

「最初は正直、自分が行っても役に立てるのか不安な気持ちもありました。私自身はまだ高所作業車に乗れないので、作業するメンバーのサポートに徹するしかありませんでしたが、自分のやるべきことはやりきれたと思います。災害応援の経験者として、自分の得た経験を後輩たちに伝え、さらに後輩たちが後に続いていってくれるとうれしいです」。

能登半島地震では、いまだ地震前の生活に戻れない被災者の方が多く存在する。一刻も早い人々の生活再建を願いつつ、一回りも二回りも大きく成長して帰ってきた二人の姿に、今後も続くであろう中電工の災害復旧支援へ確かな安心感と期待を感じた。